チビチリガマ跡地は沖縄戦の跡地としても有名な場所である。
ガマ入口には供養のための千羽鶴が吊るされており、戦争の生々しさが伝わる。
1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。
その日のうちに、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。
翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が集団自決をした。
集団自決をした村人達は約6割が18歳以下の子供達だった。
その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。
そのせいかどこからともなく赤ちゃんの泣き声が聞こえる、乗ってきた車の窓に小さな手形がいくつもついてたなど噂は多数あります。
沖縄戦によって無念の死を遂げた者が、今もなお苦しみ続けているという。
昼でも空気が重く、夜になると真っ暗になりうめき声の様な者が聞こえてくるらしい。
霊能者から言わせると、遊び半分で肝試ししてはならない場所だとか…。
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